映画「AI崩壊」。AIは結局何ができる?
2030年という近未来、社会インフラとなった「医療AI」が暴走し、命の選抜を始める。。というのが映画「AI崩壊」のおおすじ。
専門外にまで天才ぶりを発揮し過ぎなAIの天才開発者が、もう~なんだかな~って感じで、実際のAIって、実際のとこはどうなんだ??と思い考えた次第。
映画のAIは、特定のタスクのみを実行するAIではなく、自律的に思考して価値を判断するAIでした。
実際のところで、AIのできること、できないことを考えてみましょう。
我々がAIに触れる機会は日々ますます増えていますね。
私たち人間や様々な機器が日々生み出す多くのデータは、AIにとっては絶好のタスク練習材料となります。
現在はまだ未熟なAIも、練習を積むことでその能力を大きく引き延ばすことができるんです。
現状のAIでは次のようなことができると言われます。
・ 顔の認識
・ 物体の認識
・ 悪意のある行動の認識
・ 言語パターンの認識と翻訳での使用
・ 画像の操作
今後AI技術は、これまで人間ができることを、もっとたくさんできるようなるんでしょう。
AI技術が可能にすることと、そうでないことを理解する必要がありますね。
理解不足は、非現実的な期待を抱かせ、「AI崩壊」みたいな映画もできちゃったりしますから。
映画「AI崩壊」は現実世界とのリンクをあまりにも強調し過ぎていて、「ディープラーニング」など現在のAI関連用語を織り交ぜるなど、映画中のAIが現行のAI技術のあたかも延長線上にあるかのように描写しています。
それだけに、「治療薬の設計」という限定的なタスクのみを実行するはずAIが、いつのまにか「命の選別」をおこなってしまうようなAIとして扱われていることに、とても強い違和感を覚えました。
現在のAI技術を完全に無視して、その先に映画のAIが存在するように見せ、このAIに我々の社会がどうこうされる恐怖感だけをあおる稚拙さ。
制作側の勉強不足が否めない感が強いですね。